ボリバルブログ ~世界史教育の試行錯誤~

某公立高校の世界史教員が世界史教育について述べるブログ

問いの構造図の議論

TLで話題の中心になっている、「問いの構造図」。

社会科教育界隈では常に注目を受けていた渡部竜也だが、その訳本はどれも高価でかつ絶版も多い中、2019年に『歴史総合パートナーズ Doing History』(清水書院,2019)というお求めやすい価格で氏の議論が人口に膾炙し、『社会科授業づくりの理論と方法』(明治図書,2020)の刊行により、彼の授業理論「問いの構造図」の議論はいっそう加速した(サイトから論文をPDFでDLできたのだが、やはり書籍化は普及されやすい)。

 

問いの構造図の論点を、TLを追いながら、総ざらいしてみよう。なお、このブログで結論を示せるほど、私は問いの構図については理解が不足していることは先にお断りしておこう。

 

論点1「本当に教師が設定した問いの構造は、生徒の思考に無理のないものなのか?」

 この問いには、渡部先生から直接返事を頂いた(ツリー参照)。

しかし、「無理のない問いよりも、無理のない生活に則した問いやテーマにすべきかと思います」と、MQに限定する議論に代わり、それに気づかないまま議論が続行されてしまった。

私の意図としては、学習科学の知見にもとづけば、生徒が何に疑問を持ってどう理解を深めていくかは、生徒それぞれ異なっている。だとするならば、教師が問いの構造図を設計し、「生徒はこのテーマを学ぶときにこう疑問に思うはずだからこのMQにしよう。そして次に浮かぶ問いはこうなるはずだからこのSQを設けよう」と教材研究を進めても、それは生徒個々にとって本当に無理のない、突飛でない、疑問に思うべく疑問なのか分からないのではないか、という考えがありました。この疑問については、

ケンシ先生は、「問いの構造図、科学的探求で鍛えられた子たちは、最終的に「子どもの問い」で授業が可能になると思います」(ツリー参照)とお答えくださって、

星先生も以下のTweetのように

 ”生徒が自ら問いを探求的に立てて、授業者の用意していた問いと資料が前後することがある”というような趣旨の話をされていた。また、”探求的に問いを立てていく学びのモデリングとして機能する”とのご説明を頂きました。

 

 

論点2「問いの構造図のMAは、教師が設定したゴールだと思っていたけど、違うの?」

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この疑問の始まりは、次の通りです。まず渡部氏が私のTLの始皇帝の実践(始皇帝を高く評価する?低く評価する?)を引き合いに出して、「それよりも考えるべきことがある」と学びの真正性がないことを指摘し、続けて「なぜ始皇帝儒学者を弾圧したのか?」という問いを提案しました。「始皇帝焚書坑儒なんで今の我々から見れば愚行以外の何モノでもありませんが、だからこそ『なぜ?』と立ち止まって考えることが大切ではないでしょうか?」という素朴な疑問がMQになり、「法治主義対徳知主義の管理統制をめぐる議論」がMAとそこから後付けされるEQであることを示します。

ところが、教材研究をすると、始皇帝儒学者を弾圧したわけではないことが明らかになります。儒学者を弾圧した、というのは、班固『漢書』以降の儒学史観であり、実際には「儒者を埋めた」のではなく「術者を埋めた」(司馬遷史記』)だったようで、弾圧の理由は法家以外を認めないという思想弾圧ではなく、匈奴との戦時下において儒学者をはじめとする知識人が始皇帝を批判して民を不安定にさせたことを問題視しての対応だったとのことです(鶴間和幸『人間・始皇帝』)。

すると、「法治主義対徳知主義の管理統制をめぐる議論」を呼び起こすことはできません。そのことを渡部氏に指摘すると、以下のようなリプライが返ってきました。

 これが私を迷わせます。問いの構造図は、生徒が素朴に思うはずのMQを設定し、教師が教材研究の段階で5W1Hに整理して問いを構造化する(ケンシさんによると、問いを分解する、子どもの仮説から始める、のもあるとのこと!)ものだと思っていたからです。「教師が」教材研究した結果、「儒学者を弾圧しわけではなかった」が導き出されたのに、それが構成主義(「生徒が」道び出したゴールが、ある程度妥当ならば授業者の想定から変化しても構わないという立場)の考えとしては不適切である、と言われてしまったのです。主語が異なります。

これについては、鍵垢の先生から、「科学的=現時点で最も説得力のある仮説(ポパーなどの科学論?)なので、問いの構造図でMAを一つに想定しているのは、教師のたどり着けた最も説得力のある仮説を示しているに過ぎないのだと思っています」と説明を頂きました。間違いなく構成主義の立場です。

また、渡部氏も別のTweet構成主義の立場であることを示し、また説得的な主張をされます。

 ただ、やはり「主語が違うのでは?」問題には応えきれていない。星先生も、私とのやり取りの中で、その点については戸惑っているようではありました。

このやり取り一つをもって上げ足取りのように問いの構造図を批判することは断じて避けるべきですが、ちょっとした疑念が生まれます。それが以下の論点です。

 

論点3 「問いの構造図は、結局議論させたいEQが初めにあって、それに都合の良い知識が選択的に構造化される点で、氏が批判する「逆向き設計」と同じなのではないか」

であるならば、「問いの構造図」が主張するように、生徒が疑問に思う問いをこそMQにしなければならない、という縛りのようなものはいくぶん緩和されることになります。転じて、次の論点も。

 

論点4「生徒が素朴に思うはずである『なぜ』型のMQから出発するという問いの構造図は、渡部氏の理論を具体化する手段としての整合性を持たないのではないか」

この点、黒猫原理主義者さんは、「渡部竜也の『なぜ』に寄ったところで、おそらく最初に考えねばならないのは『なぜ〇〇なんて学ばなきゃいけないの?』から始まっていくはずが『なぜ〇〇は起きたのか?』などの問いを設定できるというところにそもそもの操作性を感じます」と指摘(Twitterログではありません)。その問題意識から、以下の投稿に見られる教材を開発されました。

 

こんなやり取りを経て、一応の丸い結論じみたものがこちら。

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ちなみに、私がそれでも問いの構造図に魅力を感じるのは、私の授業が生徒にとっては「難しく」、いまひとつ満足度が上がらない現状を、打破する可能性を見出しているからだ。私に足りていないものが全てそこにあるような気がしている。

 

ただし、年間指導計画の中で授業を講じるうえで、次の論点が出てくる。

 

論点5「問いの構造図および渡部氏の主張は、どの程度、年間指導の中で落とし込むべきだろうか」

真正な問いについては、「できるだけすべき」とのこと。これには首肯する。

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 また、問いの構造図による科学的探求学習はについては、全ての授業をそうするべきとは言わないし、授業はバラエティあるものにすべき、と渡部氏は著書で述べている(『社会科授業づくりの理論と方法』)。

とするならば、年間指導の中で歴史を「評価」し「解釈」する学習の一つとして、始皇帝をどう評価するかを生徒自身に考えさせることで、時代や立場によって始皇帝の評価が変わること、同じ授業を受けて同じ資料を読んでいるけれども、捉え方が人それぞれ異なるという構成主義的な知識観を生徒に理解させるために、私の授業があってもよかったのではなかろうか(結局そこかい)。

問いの構造図なら授業における問題の諸々を解決できる、とは考えてはならないことだけは確かだ。このことは、星さんも仰っていた。授業目標、生徒の実態に応じて、様々な授業理論・授業手法を組み合わせながら、授業改善をしていく必要があるだろう。そのために、私は問いの構造図をまだまだ学び続ける。