ボリバルブログ ~世界史教育の試行錯誤~

某公立高校の世界史教員が世界史教育について述べるブログ

「(生徒が)問いを表現する授業」のフォーマット

1.質問づくり・フォーマット

以前のブログ記事で「(生徒が)問いを表現する授業」についての一考察を述べた。

worldhistorysimonbolivar.hatenablog.com

「近代化と私たち」の授業では、「質問づくり」(ダン・ロスステインほか)の手法を用いた2時間もののフォーマットで授業を行った。この実践では「と私たち」の視点を入れるために、導入で「現代的な諸課題を考察するための観点を用いて、ある人にとっては『平等』だが、ある人にとっては『格差』を感じることを挙げよう」というブレストを行うことで、生徒一人一人の関心や実態に即した真正の学びの実現を試みた。

 

2.ジグソー・フォーマット

ただ2時間も必要とするため「国際秩序の変化や大衆化と私たち」では1時間で行いたいと考え、別のフォーマットで問いを表現させようと考えた。それが山川&二宮ICTライブラリに掲載されている「問いの表現」である。

 

ywl.jp

 

このフォーマットは、前川修一ほか『歴史教育「再」入門』(清水書院,2019)の美那川先生の論稿で紹介されていた「生徒は矛盾を感じた時に問いを創作する」という問いの表現に至る条件を整えたものであり、かつ知識構成ジグソー法が概念的な理解を習得するのに適した手法であるという第一前提のもと、ジグソー活動で「〇〇化」をまずは理解しその理解に基づくと矛盾を感じるような資料を提示することでそこから疑問や問いを誘発する、という展開になっている。

似た授業案に本間先生の授業案があるが、こちらはジグソー活動で問いを表現することになっており、概念的な理解の習得ができるというジグソー活動の強みが生かされにくいデザインだと感じた。

 

www.teikokushoin.co.jp

 

3.授業づくり

さて授業づくり。コンテンツ面は山川&二宮ICTライブラリの教材に頼りつつ、Twitterで実践報告をされている焼き茄子先生の教材も参考にした。氏の教材は偏差値50の生徒向けであり、生徒にとって学びやすい資料として図像資料を提示していることに気付く。導入の授業で図像資料を扱うのはイメージを持たせるためにも効果的だ!と合点した。

教材と展開は以下のようになる。

◆導入5分

◆エキスパート活動5分

 エキスパート資料A:総力戦を示す図像資料
 エキスパート資料B:大衆の政治参加を示す資料
 エキスパート資料C:生活様式の変化を示す資料

◆ジグソー活動10分

 そこから得られる解答の要素:総力戦や産業構造の変化により国民が平準化した

◆クロストーク5分(4班程度)

◆記述5分

 大衆化はどのような変化のことか

◆矛盾する資料の提示と問いの表現10分

 ①関東大震災の新聞(朝鮮人の虐殺)、②市川房江の発言(日中戦争時)

◆記述10分

 単元を学ぶ上で疑問に思ったことを問いとして表現しよう

 その問いを選んだ理由は何か

 想定される問い(※実践後、実際に出てきた)

 :大衆とは誰のことなのか?(朝鮮人、女性は排除されている?)

  なぜ日本では女性の参政権が遅かったのか?

  なぜ朝鮮人が暴動をしているという流言(デマ)が広まったのか?

 抽出を想定している固定観念(素朴概念)

 :朝鮮人には暴行を受けるだけの非があるのではないか?(加害者側の論理)

  なぜそこまで女性参政権が必要なのか?(女性差別の軽視)

 

4.実践報告

◆指導と評価の一体化の一例 ~評価の窓を多様に開けていたからこそ~
生徒Aは、大衆化とはどのような変化のことか、と問われて以下のように記した。
「大衆である民衆・国民が集まって運動、行動を起こし、生活や国民の考え方に変化が起きることだ。生活や国民の考え方に起こった変化は、資料から読み取ると、情報の伝達が発達したり、衣服などに気を向けることができたり、工業化が進んだという変化が読み取れる。」

注目すべきは、事象と事象を並列に記述していること。工業化が進んだことが背景となって生活様式が変化した、と書くことができない。情報の伝達が発達することでどうなったのかについての言及がない。

ところがこの生徒は、クロストークにおいては「このような大衆化が進んだ背景は、工業化が進み産業構造が変化したことが挙げられる」などと説明していた。ここから言えることは「記述された成果物が必ずしも生徒の認知を反映するとは限らない」ということである。ALの視点で授業を行い生徒の認知を多様に観察する方法を用意するべきだ、とはCoREFがいつも言っていることである。発話と記述の表出のされ方に差異があったのだから、次に行うべき指導は「どのように書けばよいか」ということになる。「事象を相互に関連付けられず並列でしか理解できない」と判断するのは早計なのだ。
 
ちなみに、おおよその生徒が「大衆化」のイメージをざっくりと理解できており(導入としては十分すぎる!)、かつ表現された問いも想定していたものが出てきたので、授業はある程度ねらい通りの成果を得たということができる。

 

5.2つのフォーマットの比較

近代化と大衆化とで別のフォーマットで授業を行ったので、その比較から見えてきた雑感を述べる。

 

①質問づくりは、問いをたくさんつくる過程で複数の資料を隅々まで読み、理解深化が促されるという副次的な効果が見られた。一方、ジグソーは1つ1つの資料の理解は十分でなく無視されるものも少なくはない。

②「〇〇化」とはどのような変化なのかを聞いたところ、2時間の質問づくりと、1時間のジグソーとでは、大きな差はないように感じた。知識構成型ジグソー法の強みが発揮した結果かもしれない。いずれにせよ導入としては十分。

③「大衆化とはどのような変化なのか」を一度概念化させたこともあって、「大衆とは誰なのか」という疑問を持ったうえで矛盾する資料を読む生徒の発話を確認した。

④ジグソーは矛盾する資料のみから問いをつくることになるので、より限定的な問いが表現された(ある意味ねらい通りの問いに収斂されたといえる)。また資料に縛られることが多かったため、「大衆とは何か」といった芯を食う問いが出にくかった(朝鮮人の差別を踏まえ「大衆と何か」と大衆の範囲を疑問視する生徒も現れた)。

⑤質問づくりは「民主主義の担い手の育成」や「「が理念としてあり、ジグソー・フォーマットで問いを表現する場面はその理念が反映されないといえる。

⑥ただし、4つのルールを設けないことで、対話的な学びによる資料の読み取りと理解の深まりを見取ることができた。たとえば、関東大震災のデマは大衆社会で情報が大衆に行き届く社会になっていたことが背景である、と考察する生徒もいた。これは、質問づくりのルール「話さない」では実現しない学びの姿である。

⑦ジグソー・フォーマットは時間がキツキツである。生徒の学力や慣れに大きく左右されるのではないかと思った。政治、経済などの側面の整理とか、女性という共通項に着目するとか、現代とのアナロジーで考えるとか、想像以上に良く学んでいて感心したのだが、この学びは1学期では難しかったのではと思う。

 

現時点での結論

・質問づくりは、「発言が尊重される感覚の醸成」が理念となっており、資料をじっくり読む学習につながるので、授業計画「近代化と私たち」には向いている。現代的諸課題を考察させる余裕もある。

・ジグソーは、知識構成型ジグソー法や「近代化と私たち」の授業に慣れていたからこそ短時間で成果を出せた可能性がある。